機械たちの時間

機械たちの時間 (ハヤカワ文庫 JA (532))

機械たちの時間 (ハヤカワ文庫 JA (532))

 神林長平の1987年に発表されたSF。二年くらい読書スタックに積んでいた気がするけど、やっと解決。なんで二年前これを読もうと思ったかといえば、攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX #15のサブタイトルがまさに「機械たちの時間」だったから。ミーハーな理由で恥ずかしいが。
 脳に埋め込まれたTIPの力を利用して、過去と未来を行き来する火星兵士の主人公を描いたサイバーパンク作品。設定の着眼点の素晴らしさ(2008年現在では、火星と言われてもはぁ? という感じもしないでも無いが)と、所々に体言止めを多用した疾走感のある文章が心地よい。作中やあとがきで語られているように、「事件の原因が過去じゃなくて未来にある世界」というおもしろさは、読んでて混乱をもたらしてくれるのと同時に楽しい。
 文章に疾走感はあるけども、SF作品のお約束として凄く読みづらい。逆に、疾走感ありすぎてあれよあれよと言う内に事件が進みすぎて、しかも過去と未来が逆行する世界というのも相まって、時々何が何だか分からなくなった。あと、最後の数ページに渡る怒濤のセリフラッシュ。しばらくずーっとセリフが続くのも、これまたSFのお約束(とりあえず広げまくった風呂敷を畳もうと最後に苦心するのか?)だけど、まあSFですから。いいんです、そんなこと。
 マグザットと呼ばれる、ネットワーク上に生きられる生物みたいなのも登場。いやー、サイバーパンクだね。ヒトデみたいな外見らしいけどね。宇宙は過去と未来の衝突でビッグバンを起こして誕生したという世界観も素晴らしい。生物たちの時間と、機械たちの時間は逆流してるんだという事が分かる場面なんかはもうゾクゾクくる。ところで、マグザットに襲われる描写が二回ほど本編中にあるんだけども、二十二世紀の世界でマグザットに襲われるシーンが謎。あれなんだったんだろう?
 六月頃に読んだ同じ作家の「あなたの魂に安らぎあれ」でも思ったけど、やっぱり登場人物の名前が古くさく感じてしまうのは時代のせいだろうか。どうにも、サイバーパンクという未来的な設定と名前の前時代的なセンスが噛み合わないのが、80年代サイバーパンクの一番の弱点だと思う。海外みたいに、千年くらい経っても大してネーミングセンスが変わってない国の方がSF書くのに向いているのかも。ギブスンのスプロールシリーズに出てくる「ボビー」とか「アンジイ」とか、千年前どころかあと五百年経ってもフツーに居そうだもの(どっちもあだ名だけど)。外人の名前に対するこだわりの無さを羨ましく感じるのは、多分これまでもこれからもSFを読むときだけだと思う。
 でもやっぱり、80年代のSFは凄いな。

 名言
「こいつは死体だった。おれにとっては」