空の境界(五章だけ)

空の境界 上 (講談社ノベルス)

空の境界 上 (講談社ノベルス)

空の境界 下 (講談社ノベルス)

空の境界 下 (講談社ノベルス)

 これってとってもサイバーパンクだよね
 十四日にテアトル新宿まで劇場版を見に行ったので、とりあえず映画が始まるまでに五章の復習をしておこうと思って再読。初めて読んだのは何年前だったか思い出せないけれども、それ以上に五章の内容を中途半端にしか覚えていなかったんだなと再認識。
 初めて読んだときはそんなことは微塵も思わなかったけれど、これってとってもサイバーパンクだよね、というのが再読した感想。死ぬまでの一日を繰り返すとか、脳髄だけを生かして人形に接続するとか、使ってるのは魔術だけどコンピューターに置き換えたらとってもサイバーパンク。作中でも橙子さんが語っているとおり、奈須作品において魔術は科学で置き換えが可能らしいから、荒耶宗蓮が作ったあの螺旋の縮図が科学で再現できれば、面白いだろうな。というか、燕条巴の腕がとれたときに歯車の描写があったし、その辺は科学的。
 しかし荒耶、一歩間違えればアーチャーコース一直線だったな。
 映画の感想もついでに。一章から四章まではとても手堅く作っているというのが印象だったけど、その反動か何だか知らないが五章はちょっと演出面を過剰にしすぎたな、という感想。どうにも演出が昨今の新房作品の様に、無理に気取った印象があった。
 アニメ作品としては非常に面白いハズ(実際、面白かった)なんだけど、どうせなら気取った格好良さを最後まで気取り通せば良いのに、と思う。ぐちゃぐちゃにした時系列と、ループを予感させる同じ絵を何度も序盤に挟む、という部分ばかりが大げさで、戦闘シーンはなんだか動いている事で格好良さを誤魔化そうとしたんじゃないかと邪推したくなるほど薄い。あとは所々で、異様なほどダサい部分が見えてくる。一番わかりやすいのは、地下駐車場で巴が叫ぶところ。正直ギャグかと思った。あとは個人的に、鮮花の出番が減らされていたのが納得いかない。
 目に付いたつまらないところばかりを挙げたけれど、映画はとても面白かった。作画は綺麗だし、脚本は良かったし、演出も好みさえ合えばなかなかにはっちゃけてたし、梶浦サウンドは相変わらず良いし、よく動く。そして何より、やっぱり小説を映画化するというのは、監督にとって難しいと同時に、観客にとってとても嬉しい事だと思う。自分が文字から想像していたキャラクター達の動きが一瞬で目に入ってくるという感動は、やっぱり映像化の醍醐味だと思う。
 六章をスクリーンで見るまでは死ねません。

 名言
"――死の蒐集が、始まった。"